京都地方裁判所 平成3年(行ウ)21号 判決 1992年12月09日
原告
奥山イク子
右訴訟代理人弁護士
平田武義
被告
国
右代表者法務大臣
田原隆
右指定代理人
田中素子
主文
一 原告が日本国籍を有することを確認する。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文同旨。
第二事案の概要
一請求の対象(訴訟物)
いわゆる中国残留日本人孤児である原告が、中国人と結婚したことにより、日本国籍を喪失したものとして、被告から国籍喪失届出を求められた。そこで、被告国に対し、現に日本国籍を有することの確認を求めたのが本件請求である。
二前提事実(争いがない事実)
原告は、昭和八年二月九日、山形県東村山郡長崎町で、父奥山市太郎(本籍・山形県西置賜郡白鷹町大字佐野原二九〇番地)、母さのの三女として出生し、昭和一六年ころ、家族と共に満州に渡り、終戦後いわゆる中国残留日本人孤児として残され、平成二年八月七日、日本に帰国した。
三争点
原告は、中国人運廷訓との結婚により、日本国籍を喪失したか(結婚式の挙行日はいつか、原告に婚姻意思があったか、原告は無効な婚姻を追認したか、婚姻の成立はいつか)。
四争点に関する当事者の主張
1 被告
原告は、昭和二三年ないし同二二年八月二〇日、当時の中華民国の伝統風俗習慣に則って、運廷訓(以下、廷訓という)と結婚式を挙げ、婚姻した。
右婚姻の実質的要件は、原告については日本民法を、廷訓については中華民国民法を、形式的要件は、挙行地である中華民国民法を準拠法としてそれぞれ判断すべきである(平成元年法律第二七号による改正前の法例《以下、旧法例という》第一三条)。
右結婚につき、公開の儀式と二人以上の証人の存在(中華民国民法九八二条)という形式的要件は、充足されている。
実質的要件のうち婚姻適齢、親権者の同意という要件は満たしていないが、二人の証人が原告の婚姻意思も確認しており、右婚姻は有効に成立している。
中華民国国籍法二条一号によれば、「中国人の妻となった者は中華民国の国籍を取得する」とされており、一方、昭和二五年七月一日廃止の国籍法(以下、旧国籍法という)一八条は、「日本人が外国人の妻となり、夫の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」と規定している。
したがって、原告は、右婚姻により、中華民国国籍を取得し、日本国籍を喪失したことになる。
廷訓との結婚式が、昭和二二年八月二四日に挙行されたとしても、同様である。
仮に、結婚式の当時原告に婚姻意思がなかったとしても、原告は、廷訓を夫と認めて床を共にするようになった昭和二五年五月ころには、廷訓との婚姻を追認した。
したがって、結婚式の当時に遡って婚姻は有効となり、原告は、中華民国国籍を取得し、日本国籍を喪失したことになる。
2 原告
原告と廷訓との結婚式が行われたのは、昭和二三年八月二〇日ではなく、昭和二二年八月二四日である。
当時原告は一四歳で十分な意思能力もなく、結婚について理解できるような状況にないうえに、これは人身売買に等しい結婚であって、婚姻意思を有していなかった。また、公開の儀式と二人以上の証人の存在という形式的要件も満たしていなかったので、右婚姻は無効である。
原告が、廷訓の嫁と認められるようになったのは、昭和二五年五月ころからであり、原告自ら廷訓を夫と認めるようになったのは、昭和二六年八月ころからである。しかし、それは、無効な婚姻を追認したものではない。
仮に追認に当たるとしても、その効力は、結婚式当時まで遡及するものではない。また、婚姻の効力が生じたとしても、中華民国国籍取得の効果が遡及するものではない。昭和二五年当時には、中華人民共和国(以下、共和国という)が成立し、中国本土では中華民国国籍法は失効していたから、原告が中華民国国籍を取得するいわれはなく、したがって、日本国籍を喪失していない。
第三判断
一事実認定
証拠(<書証番号略>、原告)、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、昭和一六年ころ、満八歳で小学校一年生であったが、家族と共に満州の依蘭県の開拓団に入植した。
昭和二〇年八月の終戦当時は、母奥山さの等の家族と方正県に住んでいた。
(二) 同年一〇月、母は、原告(満一二歳)を、斉振庭、佐傑夫婦へ養女として売り渡した。原告は、斉孝芬と名付けられた。
(三) 昭和二一年三月ころ、斉夫婦は、原告を哈爾浜市江北の龍家へ童養娘(将来嫁にするために買い取った養女で成人までは下女として養われる者)として売り渡した。
原告は、龍家で一年間下女として働かされた。
(四) 昭和二二年六月、斉夫婦は、原告を龍家から連れ帰り、長春市南嶺の任義和の店に住み込み労働させた。同年八月一〇日ころ、李宝崎の家に遊びに行くと偽って、原告を運家へ五、〇〇〇元で売り渡した。
(五) 同月二四日、当時病気で寝ていた原告(満一四歳)は、服を着せられ、訳も分からないまま、長春市六馬路の福聚成飯店へ連れて行かれた。そこで、結婚式があり、式後直ちに連れ帰られた。式には、親族、知人等五、六〇名が招待され、李宝崎、李長栄を証人として、廷訓と原告(斉孝芬)名義の結婚証書が作成されたが、原告は、署名押印をしていない。
(六) その後、原告は、運家において、牛馬のように働かされ、籾殼などを食べさせられるなど、家族とは異なった辛い生活を強いられた。廷訓とは、二年間以上も口をきかなかった。
昭和二三年三月ころ、運家の家族は、長春市から天津市近くの祖父母の家に疎開した。
(七) 昭和二五年五月ころ、原告は、廷訓と床を共にするようになり、それ以来他の者も、原告を廷訓の嫁と認めるようになった。昭和二六年八月には長男も誕生し、このころ、原告は、廷訓を夫と認める気持ちになった。
(八) 昭和二九年ころ、原告ら家族は長春市へ戻り、原告も自動車製造工場で働き、その後三人の子供にも恵まれた。
(九) 原告が帰国時に提出した公証書には、原告と廷訓の結婚の日が昭和二三年八月二〇日と記載されている。これは、廷訓が、就職時に、原告の結婚年齢が若すぎると指摘されることを懸念して、一年遅らせて届け出たためである。
二結婚式の挙行日について
右認定事実によると、原告と廷訓との結婚式は、昭和二二年八月二四日に執り行われたと認められる。
このように、日本人女性が外国において外国人男性と結婚する場合に、婚姻成立の要件は、被告主張のとおり、旧法例一三条により、実質的要件は当事者の本国法により、形式的要件(その方式)は婚姻挙行地の法律によって判断することになる。
三婚姻の実質的要件(原告の婚姻意思)について
婚姻の実質的要件として、当時の原告の本国法である旧民法七七八条は、「当事者間ニ婚姻ヲ為ス意思ナキトキ」に限り婚姻が無効であると規定し、婚姻意思の合致が必要であることを定めている。
前認定一(一)ないし(六)の各事実、弁論の全趣旨を併せ考えると、昭和二二年八月二四日当時の原告が、廷訓と真に社会通念上夫婦であると認められるような、精神的肉体的結合関係を設定する意思、即ち、婚姻意思を有していたとは到底認められない。
したがって、原告と廷訓との結婚は、その実質的要件である婚姻意思を欠くものである。
四婚姻の形式的要件(方式)について
婚姻の方式、即ち、形式的要件につき、婚姻挙行地法である中華民国民法に従って判断する。
同法九八二条は、「結婚は、公開の儀式及び二人以上の証人があることを要する」旨を定める。
公開の儀式とは、儀式が公然と行われ、一般不特定人が見ることのできることをいい、証人は、当事者双方に婚姻意思があるか否かを確認するためにあると解されている。
前認定一(五)の結婚式の場所、参列者の人数等からして、これが公開の儀式として執り行われたことを推認することができる。
しかし、前認定一(一)ないし(五)の事実に照らすと、原告に公開の結婚式をする意思があったとは認められず、結婚証書にも原告が署名していないことからすると、原告が結婚するための公開の儀式をしたものとは認めがたいというべきである。
とすれば、昭和二二年八月二四日の原告と廷訓との結婚は、実質的要件も形式的要件も欠く無効なものといわざるをえない。
五原告の婚姻はいつ成立したか
前認定一(七)のとおり、原告は廷訓と床を共にするようになった昭和二五年五月ころから、事実上の夫婦生活を営むようになったとみるのが相当である。
そして、昭和二六年八月ころには、原告も廷訓を夫と認めるようになり、以後子供にも恵まれて、廷訓と共に夫婦として共同生活を営んできたことからすると、昭和二六年八月ころ、原告において、廷訓との婚姻意思を有するに至ったものと認めるのが相当であり、このころ、原告と廷訓の婚姻が事実上成立したものと認めるのが相当である。
昭和二四年一〇月一日には、中国本土において共和国が樹立され(以後中国本土では、中華民国民法及び中華民国国籍法は失効した)、昭和二五年五月一日には共和国婚姻法が公布され、儀式婚は廃止されて、同法七条により登録婚制度が採用された。しかし、(一)双方の婚姻関係の確信、(二)婚姻生活の事実の存在、(三)群衆の公認を要件として、事実婚によっても有効な婚姻として成立するとの解釈が一般になされている(弁論の全趣旨)。
とすれば、昭和二六年八月ころ、原告と廷訓との間で、事実婚として共和国婚姻法に照らし、有効な婚姻が成立したというべきである。
しかしながら、旧国籍法一八条は、右婚姻成立前の昭和二五年六月三〇日限り失効しており、外国人との婚姻により日本国籍を喪失することはなくなった。
したがって、右廷訓との婚姻により、原告が日本国籍を喪失することはない。
六被告の追認の主張について
被告は、昭和二五年五月ころ、原告は、廷訓と床を共にするようになって廷訓との婚姻を追認し、その効力は結婚式の行われた時期まで遡及すると主張する。
そもそも、無効な婚姻の追認とは、実質的夫婦生活関係が存在していることを前提として、事実上の夫婦の一方が他方の意思に基づかないで婚姻届を作成提出したような場合に、民法一一六条の無権代理行為の追認の規定を類推適用して、他方が届出の事実を知って追認するなど、届出に遡って婚姻が有効になる場合をいう(最判昭和四七・七・二五民集二六巻六号一二六三頁参照)。
本件のような儀式婚の場合には、婚姻意思を有し事実上の夫婦にある者の一方が、他方の意思に基づかないで公開の儀式を挙げたときに限り、このような無権代理の追認規定の類推による追認を認めることもあり得る。
しかしながら、当事者双方が婚姻意思もなく、事実上の夫婦生活も営んでいない期間についてまで遡って効力を有する追認を認める余地はない。
しかも、そもそも無効な儀式の追認は、結婚の方式ないし形式的要件に関することであるから、旧法例一三条に準じ、追認地法によって判断すべきものである。そして、共和国婚姻法ないし中華民国民法において右のような遡及的追認が認められていたことは、何らの主張、立証もなく、本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。
また、原告が廷訓と床を共にし、夫と認めるような気持ちになったということをもって、無効な儀式のなされたことを知りながら、これを有効なものとして遡及的に追認する意思を含むものであるとは認めがたい。他に、原告において、昭和二五年五月ころないし昭和二六年八月ころ、右趣旨の追認の意思表示をしたとの事実を認めるに足りる的確な証拠がない。
したがって、被告の右主張は採用できない。
さらに前示のとおり、共和国が樹立された昭和二四年一〇月一日以後、中国本土では中華民国関係法規が適用されなくなったと解すべきであるから、中華民国民法の適用を前提として、同法上の儀式婚の遡及的成立をいう被告の主張は、特段の定めの主張、立証がない以上、この点においても理由がない。
被告は、これに関し、我が国が共和国と共同声明を発表した昭和四七年九月二九日までは、中華民国法規が中国本土においても適用されると主張する。しかし、国際私法上の準拠法の決定は、国家や政府の承認の有無とは次元を異にする問題であって、右見解は採用できない。
七結論
以上のとおり、被告の主張は理由がなく、他に原告が日本国籍を喪失したことについて主張、立証はない。
よって、原告は、現在、日本国籍を有し、これを争う被告との間にその確認の利益がある。
(裁判長裁判官吉川義春 裁判官中村隆次 裁判官佐藤洋幸)